最近、プライベートセッションでのお客様から、心の問題についてスカイプでカウンセリングをさせて頂いています。対面ではなかなかお話できなかったことも、静まり返った夜なら、心が開けるかもしれないって。。普段とても元気に頑張っている方。でもどうしても切れてしまうことが多い・・初めて病院に行ったときに話をしてもわかってもらえなくて、切れてしまった。その時は押さえつけられてお尻に注射された。もらっているお薬を飲んだところでむなしさしか残らない。夜は眠れない。昼は仕事ですべきことがたくさんあって、気持ちが安らぐ時がない。愛ってどこにあるの?なぜ生きているんだろう。とにかく疲れた。。

同じように思われる方たちが他にもいらっしゃいます。みんな辛くてもぎりぎりまで頑張ってる。

人は誰でも2面性をもっています。外のお付き合いでは笑顔でいれる。大人ならきっとそうやって頑張っちゃいますよね。でも内なるあなたの声を、私はいつもお聴きしています。

この「置かれた場所で咲きなさい」という言葉は、ノートルダム清心学園の理事長・渡辺和子氏が執筆された本のタイトルなのですが、私は正にこの言葉に深く魅かれるものがあるのです。(この記事の文章にもたくさんの文章、言葉を引用させて頂いています)

 

渡辺和子氏は、30歳間際で修道院に入ることを決意され、その後修道会の任務として修練の為に渡米し、修練終了後学位を取り、35歳で帰国されています。

 

次の任務として岡山のノートルダム清心女子大学に派遣され、その翌年には学長に任命されました。 現在は85歳になられ、今も尚このように素晴らしい本を書かれ、この本は私のバイブルの一冊となっています。

 

そのような渡辺和子氏も、学長になられた時にはまだ30代という若さもあり、初めての岡山という土地や、思いがけない役職、未経験の事柄の連続で、当初考えていた修道生活とはかけ離れていて、「くれない続」になってしまったそうです。 「挨拶してくれない」

「ねぎらってくれない」「わかってくれない」 自信を喪失し、修道院を出ようかと思いつめていた時に、一人の宣教師が短い英語の詩を渡してくれたそうです。その詩の冒頭の一行、それが「置かれたところで咲きなさい」 という言葉だったのです。

 

そして渡辺和子氏は変わりました。置かれた場に不平不満を持ち、他人の出方で幸せになったり不幸になったりしては、環境の奴隷でしかない。人間と生まれたからには、どんなところに置かれても、そこで環境の主人となり自分の花を咲かせようと決心することができたそうです。

 

「置かれたところで咲く」というこの生き方は、ノートルダム清心学園の学生さんや、卒業された方たちにも普及されているそうです。 素晴らしいですよね。

 

私も今までのいろいろな経験の中、置かれた立場 ということに対して本当に多くの事を学びました。 正に「私が変わる」ということでどれほどの気づきがあったことでしょうか。

 

結婚しても、 就職しても、 子育てをしても、 「こんなはずじゃなかった」と思うことが次から次にでてきますが、 そんな時にもその状況の中で、「咲く」努力をしてみませんか?

私のヒプノセラピーの最後にいつも言う言葉があります。「あなただけの花を咲かせましょう・・」~どうしても咲けない時だってありますよね~雨風が強い時、日照り続きで上を向けない時、そんな時には無理に咲かなくたっていいのです。その代わりに根を下へ下へと降ろして、しっかりと根を張るのです。根を張っている間に、外の環境は、例えば日照りは和らぎ、風も優しくなっているでしょう。

そして次に咲く花が、美しいものとなるのですね。もちろん小さな花でも、それは本当に美しいのです。

 

置かれたところ。は、辛い立場、理不尽、不条理な仕打ち、憎しみの的であったり、信じていた人の裏切りであったりもします。人によっては置かれたところがベッドの上ということもあり、歳をとって周囲から「役立たず」と思われ、片隅に追いやられることさえあるかもしれません。 でも、 そんな日にも咲く心を持ち続けましょう。

多くの事を胸に納め、花束にしてみませんか。与えられる物事一つひとつを、有難く両手でいただき、自分しか作れない美しい花束にして笑顔で胸に持ちましょう。それはどんなに美しいか。私にはどんなに高価な宝石よりも 美しく輝いていると思うのです。

寒い寒いところに、こんなに綺麗なお花が咲いています。

この画像は友人が富士山に登った時に見つけたお花・・寒くて凍えそうな場所に、こんなに綺麗なお花が咲くのですよね。なんだか感動してしまいました。

 

 

 

 

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